喜多院門前通り【小仙波町三丁目】
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先週日曜日、雪の降る中、さいたま市(旧・大宮市)のステラタウンに行ってきました。
富士重工業(スバル)の工場の跡地だったところで、イトーヨーカ堂や専門店が入っているショッピングセンターです。
この1階に、駄菓子屋さんがありました。
昔は川越も、学校のそばとかに、文房具屋さんを兼ねたところとか、たくさんありましたが、減ってしまいましたね。
スーパーやコンビニで気軽にいつでも買えるからでしょうか。
ステラタウンの駄菓子屋さんは、最新のショッピングセンターの中のお店ですから、近代的空間の一角にレトロな雰囲気をわざわざ持ち込んだようなところです。
とはいえ、駄菓子屋さんは駄菓子屋さん、昔懐かしいお菓子が1つ数十円でずらっと並んでいます。
そんな中に、??これも駄菓子??というようなものも。
その1つが草加せんべいでした。
大きな袋に何枚入っていたでしょう??
そこまでは記憶にありませんが。
最近は食の安全がとやかく言われる時代ということもあってか、袋の裏の製造者シールを見ると・・・。
川島屋 川越市中原町二丁目
と。
草加せんべいだよね。
草加って埼玉県の南東の端のほう、でも作っているのは埼玉県の真ん中の川越。
川越(及び所沢)周辺だと、お米の粉を使った食べ物としては醤油のたれにつけられたお団子ですね。
おせんべいもお団子と同じようにお米の粉と醤油が使われています。
そんなこともあってか、川越にも何軒かのおせんべい工場があります。
富士見町の仙波小学校の南側の工場のように、止めてしまったところもありますが。
まだまだ頑張っているおせんべい工場の1つが川島屋です。(1番目及び2番目の写真参照。)
川越駅から東武東上線に沿っているアカシア通りを川越市駅方面に行くと、西武新宿線の踏切がありますが、それを越えたところに鉄骨のゲートが道の上を渡っています。
このゲートの両端が川島屋です。
私の家の最寄り駅は川越駅なんですが、朝はひと駅歩いて逆の川越市駅から電車に乗っているのですが、毎朝この川島屋の工場の前を通ります。
さすがにまだ工場も稼働していない時間なので、おせんべいを作っているときの状況は見たことがないのですが、お醤油のいい香りがするんだろうなぁなんて思っています。
こんどどこかのお店で草加せんべいの袋を見かけたら製造者を確認してみて下さい。
草加といいつつも川越のおせんべい屋さんかもしれませんよ。
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ネタは菅原町から一旦離れて。
今日は霞ヶ関のほうに行ってきました。
2006年に新たにできた東武東上線の霞ヶ関駅の北口を出て、河越舘址の常楽寺がある北東の方に向かっていきます。
駅近くは新興の住宅地ですが、5分ほど歩くとお茶畑が広がるのが見えてきます。
狭山茶の製造元である鈴木園のお茶畑です。(一番目の写真参照。)
細い道をさらに北のほうへ行くと、その鈴木園のお茶製造工場とお屋敷があります。(二番目の写真参照。)
狭山茶は、宇治・静岡に並ぶ茶所です。
名前の通り狭山市をはじめ、隣接する入間市とか、狭山丘陵のあちらこちらでお茶畑が広がっています。
郭町の本丸御殿近くにある川越市立博物館にはお茶に関することも展示されています。
それによると、狭山茶のもとになったのは、一説として河越茶である、とのことです。
この鈴木園、もともとこの辺りの地主さんでもあり、お屋敷の門も単に門扉があるだけでなく、倉庫も一体となったような立派な門です。
そんなところから想像するに、狭山茶のルーツとなった河越茶の頃からかどうかはわかりませんが、河越舘の近くでもありますので、かなり歴史のあるお茶の製造元とみました。
河越舘址への途中ですので、住宅街の中に残るのどかなお茶畑が広がる様子を楽しんでみて下さい。
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菅原神社前から川越街道を旧市街方向へ50mほどいくと、先般紹介した旧商店と同じような建物があります。(一番目の写真参照。)
とても良く似ていますので、やはり大正から昭和初期にかけての建物ではないでしょうか。
この建物につながるようにグレーの塀があり、この塀に看板が掲げられています。
「早市産業」と書いてあります。
ハンカチやレースを製造する工場です。
この建物の中で作っているわけではないでしょう。
川越街道の東側には、仙波小学校あたりから松江町一丁目付近まで、川越街道のように一直線ではありませんが、川越街道と並行している道があります。
早市産業の敷地も、西側は川越街道に面していますが、東側はその裏道までつながっています。
その裏道に回ると、早市産業の工場があります。(二番目の写真参照。)
現在の工場は四角い箱のような建物が多いですが、早市産業の工場はのこぎりの歯のような屋根をしています。
これだけでも昔風ですが、屋根には瓦が葺かれていることからも歴史を感じさせます。
聞くところによると、戦前に建てられたものだそうです。
菅原町あたりは、偶然かもしれませんが、繊維に関する工場が多かった感じですね。
今の川越第一ホテルかその隣のマンションのあたりには、30年ぐらい前には名称は定かではありませんが靴下の工場がりました。(東京靴下??)
また、川越駅前のマインの東側にある裏口の前に、工場自体は無くなってしまってコインパーキングになっていますが、光美染色という染物工場がありました。
菅原町のあたりは旧市街からは遠からず近からずで、川越街道があり、舟運の河岸も近く、川越駅(鉄道)も近く、ということで繊維産業をはじめとする比較的小規模な産業が発達したのでしょう。
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日本には八百万(やおよろず)の神ということであらゆるところに神様がいることから、神社の境内には主たる神様のための社殿に加えて、その他の神様を祀るために境内社と言われる小さい社を併設していることがあります。
先般紹介した菅原神社にも境内社があります。
六塚稲荷神社です。(一番目の写真参照。)
菅原神社入口にあった看板によると、天文18年(1549年)に現在地から200mぐらい北にある朝日生命ビル付近にあった塚の上に勧請されたそうです。(創建当時あったとされる地点である朝日生命ビルは二番目の写真参照。)
菅原神社が1624年ですから六塚稲荷神社のほうがさらに歴史がありますね。
今の状況をみると、菅原神社と六塚稲荷神社で立場が逆転してしまったような感じですが。
塚の上にあったということで、このあたりは仙波古墳群があった地区ですから、以前紹介した富士浅間神社や愛宕神社と同じような感じだったのでしょうが、川越駅に近く川越街道沿いということもあって六塚稲荷神社は塚が崩されてしまったのかもしれません。
六塚稲荷神社は大正2年(1913年)に天神社(現在の菅原神社)と合祀され、昭和21年(1946年)に菅原神社の本殿を新しくしたのを受けて、昭和26年(1951年)に菅原神社の本殿を現在の社殿としたそうです。(三番目の写真参照。)
六塚稲荷神社は、ここがもともと大仙波新田と呼ばれた地区で畑作とかをやっていたためか五穀豊穣の神様であるとともに、商売繁盛の神様とのことで、看板には「産業の神」と謳っています。
現在菅原町は、川越駅近くは商店、駅から離れるに従ってマンションをはじめとする住宅が多くなりますが、以前は小規模な工場とかも点在していましたので、六塚稲荷神社のご利益が十分にあったのでしょう。
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ケータイ(内蔵カメラ付)を持って、自転車で街中を走ってきました。
デジカメをいつも持って歩くのは何かおおごとな感じがしなくもないですが、カメラのついたケータイは、買い物やお散歩の途中で気になった景色とか建物とかの記録を残しておくにはとても便利です。
さて、今回回ってきたのは三久保町です。
川越城の南南西に位置する町で、もともとは武家屋敷のあった町のようです。
そんな町にコンクリートの大きな建物が二つどーんと建っています。
ひとつは今回紹介する写真の建物です。
この建物自体が見どころなわけではありませんが・・・。
この建物は、東京電力の川越支社です。
なんで武家屋敷のあった町に東京電力があるかというと、この地は明治37年に埼玉県で初めての石炭火力発電所が設けられた場所だからです。
最初は地元資本で設立されたのだと思いますが、電力事業はお国の政策もあり、このあたりでは東京電力に統合され、今に至る状況です。
ここに火力発電所が作られたことで、当時の川越町にはやはり埼玉県初で電灯が供給されたそうです。
新河岸川の舟運が盛んだったために、鉄道(東北線)の敷設案を退けてしまい、浦和・大宮に一歩譲ってしまった川越ですが、ここぞというところでは頑張っていました。

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