神社仏閣

放火で焼失!!菅原神社【菅原町】

以前紹介した我が家の近所の神社の一つ、菅原神社が、2月3日(火)未明に放火され、拝殿が焼失してしまいました・・・。

3 1枚目の写真は在りし日の姿の菅原神社です。

6 そして、2枚目の写真が焼失後の写真です。

拝殿が全焼してしまっているとともに、裏の本殿までは見ませんでしたがおそらくダメージを受けていることでしょう。

そして、手前の水屋には屋根があったのですが、それもなくなり、拝殿両脇の大きな木にもすすがついています。

7_2 神社入り口にある看板によれば、焼失した拝殿は、後ろの本殿より古く、昭和とは言え戦中の昭和16年に改築されたものでした。

犯人は、派遣切りに遭い、住むところが無く、神社内に忍び込もうとしたところ、鍵がかかっていて入れなかったためにむしゃくしゃしてライターで火をつけたそうです。

近隣の方によると、火柱がかなり高くまであがったようです。

不幸中の幸いで、風があまりなかったので周りのお宅とか妙善寺には影響が及ばなかったみたいです。

実は私、毎日川越駅に向かうのにすぐ横あたりを通ります。

事件直後の当日7時半頃にも通っていたのですが、全く気がつかず、夜になってインターネットのニュースで知った次第でありました。(気がつくのが遅くてお恥ずかしい。)

こう言ってはなんですが派遣という道を選んだのは自分、でも確かにバッサリ切られてしまったのは世界経済が傾いてしまっている昨今ではありますが不幸と思いますよ。

だからと言って、みんなが大事にしてきた神社、しかも将来にわたって大事にしていけばそれこそ貴重な街の財産となるもので、派遣切りとは何の関わりのないものを、自分勝手に燃やしてしまうなんて・・・。

同情の余地もありません。

事件から1週間となる今日(2月9日)ですが、2番目の写真の通り、未だそのままの状態です。

復興させるにも、いくら商店の多い菅原町でも出費がかさんで大変でしょう。

(ここ数年で山車を新しく建造しているし、その山車蔵も昨年建てているし。)

菅原町も元は旧仙波村の一角。

仙波町・富士見町等旧仙波村を構成する字町で協力してはいかがでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

喜多院の七不思議・明星の杉と明星の池【小仙波町一丁目】

前回に引き続き、だいぶ時間が経ってしまいましたが、お正月三が日に見つけた場所のご紹介を。

喜多院山門を出て左手に、駐車場があります。

主に喜多院へ参詣する方々に使われております。

その名に「明星」というのがつけられています。

その昔、尊海僧正が勅命で関東で仏教を広めるために京都から牛車に乗って来たところ、小川にかかる橋のところで止まってしまい、これは何かあるかもしれないと思ってその場に留まりました。

するとその晩、近くの池の中から光が輝きだし、それが空に舞い上がって明星となり、その明星が老いた杉の木にとまりました。

尊海僧正はこれは何かあるかもしれないと思って調べたところ、この地がかつて仙芳仙人や慈覚大師が修行した場所であったことがわかり、ここにお堂を建てました。

1 その池のあとが山門の前の明星駐車場であり、その駐車場の北東の角に小さな祠があってその前に植えられている杉が明星の止まった老杉の代わりとなる新しい杉の木です。(写真の左端のほうにある木。)

なんか、よく個人で庭にお稲荷さんとかをお祀りしているお宅がありますが、この祠、今までずっとそんな感じの祠だと思ってました・・・。

また、喜多院の山号を星野山(せいやさん)と呼びますが、これも明星が輝いた場所からです。

あちこち調べると、光が輝きだしたのが池でなく井戸というのもあるようですね。

もう間もなく喜多院では節分会がありますので、その機会に訪れたらここにも足を向けてみてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

喜多院の初大師とだるま市【小仙波町一丁目】

もう間もなく年が明けて、2009年を迎えます。

皆さんは、初詣はどちらに行かれますか??

我が家は、1月1日0時とともに、近所の仙波氷川神社にお参りし、一眠りした後、お昼前ぐらいに南通町にある川越市総鎮守の川越八幡宮にお参りします。

ホームページを見ると、宮下町の川越氷川神社も川越総鎮守というくだりがあるのですが、どっちが本当の総鎮守なんでしょ??

祀っている神様が違うだろうから、両方とも、ということでしょうか。

以前は、元日に限りお守りが頂けるというので初雁公園の三芳野神社やその近くで川越城富士見櫓跡の御嶽神社、鐘をつける中院や連繋寺、等々にも行ったりしていました。

ある程度の寺社になるといろいろな催し物をやって、参拝者を集めてますね。

1月2日はゆったりした後、1月3日には、喜多院に行きます。

1 この日喜多院では、縁日の初大師で、境内ではだるま市が開かれています。

写真は、昨年の、しかもだるまを売っているところではなく、その前の年のだるまを納めるところですけど・・・。

両目が入れられ、納められただるまもたくさんありますが、境内には関東各地からだるまの業者さんが集まり、だるまを売っています。

だるまも、地域・業者さんによって、顔が違いますし、大きさもいろいろです。

我が家はいつも山門内側に陣取っている、群馬は高崎・少林山の、今井だるまのだるまの顔がしっくりくるのでこれを買っています。

皆さんもいろいろなお店を回って、お好みのだるまを選んでみてください。

その昔は、2月にも月遅れというか旧暦のだるま市があったと記憶しているのですが・・・。

今は1月3日ですので、お間違いなく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

旅人の安全を祈る道標【小仙波町三丁目】

この前紹介した琵琶橋、大宮から川越へ向かう道にかかる橋ですが、この琵琶橋から道なりに南西方向(喜多院山門方向)に100mほど行くと、五差路があります。

この五差路をそのまま戻れば琵琶橋を経て大宮に、西に向かえば喜多院の山門前、南に向かえば川越駅、そして南東に行く道で今はUNICSの東側を通る道(県道113号川越新座線)になっています。

ここもよく通る道であったのですが、この前通行止めとなった琵琶橋の様子を見に行くために自転車でここを通ったら初めて気がついたものがありました。

喜多院山門前からまっすぐ来るとこの五差路の正面、大宮方面に行く道とUNICS方面に行く道(県道113号川越新座線)との間に、お墓のような石碑が建っていました。

1 正面には、凡字一文字と、その下に「観世音」と彫られていました。

2 二枚目の写真は裏から撮ったもので、逆光のために彫ってある文字がよく読めませんが、この石碑の左右の側面には、それぞれの行きつく先が彫られています。

どちらかと言えばくっきり見えるのは一枚目の写真の右の行先ですが、飯田新田というのが読み取れました。

飯田新田というのは、今はさいたま市になっていますが、荒川の、下流に向かって右岸にあり、県道113号川越新座線をUNICSを越えて更に進んでいくとびん沼川(おそらく旧の荒川の流れで川越市と大宮市の境界になっている川)付近で治水橋方面に向かう道と交差しますが、そのあたりです。

川越の街から歩いて行くと、この石碑のあたりから街を離れていくので、川越を離れる人の安全を祈って観世音を祀るとともにそれぞれの道がどこに向かっているのかを教えてあげるためにこの石碑を建立したのではないかなあと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

砂久保陣場跡・稲荷大明神【砂久保】

先般紹介した南部地域公共広場の北側に、神社があります。

砂久保の稲荷大明神です。(一番目の写真参照。)

境内はそこそこ広く、ちょっとした児童公園と、かなり以前に建てられたと思われる社務所兼砂久保集会所もあります。(二番目の写真参照。)

砂久保は、「砂」という地名が付くこと、隣の南部地域公共広場の利用申し込み先が高階出張所であることから、隣接する砂や砂新田のように旧・高階村と思いきや、旧・福原村だったんだそうです。

社殿前の石柱に、福原村開村100周年記念事業、みたいなことが彫られていることから伺えました。

この稲荷大明神、かなり凝ったつくりになっていて、仙波の氷川神社や浅間神社だと本殿と拝殿の間はオープンになっていますが、この砂久保の稲荷大明神は、三番目の写真だと、左手が拝殿、右手が本殿なのですが、その間の通路にも壁と屋根で囲まれています。

一番目の写真左手に水屋があり、石製の水桶には江戸時代の年号が彫られていましたが、この地域の開墾が正保年代(1644年~1647年)ということなので、それ以前はこのあたり一帯は広大な武蔵野の原野であったそうです。

それ以前の今から約460年前の天文15年(1546年)、上杉軍と北条軍が戦った河越夜戦がありましたが、北条綱成が守る河越城を、関東管領で後の上杉謙信の義父となる上杉憲政が攻める際に陣地を置いたのがこの砂久保の地だそうです。

上杉憲政軍は、北条綱成の援軍でやってきた北条氏康の軍に敗れて敗走しています。

1

2

3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新しいけど歴史のある妙善寺【菅原町】

2008年になり、1月1日から3日にかけて、川越観光に来られた方が街にあふれていました。

例年の傾向として、まだしばらくは続くでしょう。

川越駅を降り立つと、東武東上線の改札口を出て左手に、観光案内所があります。

ここでパンフレットをもらって、そのパンフレットを片手に街へ繰り出すのが一般的かもしれません。

そのパンフレットの中で大きく取り上げられているのが川越七福神めぐりです。

第一番でもあり、川越駅に最も近くにあるのが妙善寺です。

一番目の写真にあるように、コンクリート建ての新しい本堂のお寺です。

もともとは、喜多院の南側に位置する中院の、第28世尊能法印という方が、江戸時代(寛永元年・1624年)に両親を追悼するために建立したお寺で、母親の法名が妙善大姉であったことからこのお寺の名前になったようです。

天明8年(1789年)に火災によって本堂を焼失してしまい、その後ずっと仮のお堂でしたが、昭和53年(1978年)になってようやく今の本堂が再建されました。

そのため一見新しそうなお寺に見えてしまっています。

境内には、さつまいも地蔵尊(二番目の写真参照。)や慈母観音(三番目の写真参照。)が祀られています。

ただ、これらは近年になって建立されたものです。

また、このように境内にはさつまいも地蔵尊があることもあって、お正月の三が日のような人がたくさん訪れる時には、境内で焼き芋が売られているときもあります。

寒い時には温まりますよ。

さらに、妙善寺の前の狭い道路を挟んで南東の向いを見て下さい。

妙善寺御用達の石材店の看板が大きくあるものの、その宣伝みたいになっていて見過ごして通り過ぎてしまいがちですが、石板の供養碑(四番目の写真参照。)とお地蔵様があります。

石板供養碑は、ずっとここにあったかどうかはわかりませんが、そのうちのひとつは室町時代(嘉吉元年・1441年)の年号が彫られた古いもので、その当時の方を供養したもののようです。

また、お地蔵様も江戸時代(元禄6年・1694年)に祀られたものです。

七福神に気を取られがちですが、これらの石仏等でも川越で歴史を感じて見て下さい。

1_2

2_2

3

4

5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

川越駅近くの大きな木が目印・菅原神社【菅原町】

川越を訪れると七福神めぐりをする人が多いですね。

川越駅で降りて改札口を抜けるとすぐ左手に観光案内所があり、そこで配られるパンフレットに載っているからでしょう。

七福神めぐりで最初に訪れるのは、川越駅に近いこともありますが、毘沙門天を祀る第一番・妙善寺です。

川越駅東口から妙善寺に向かっていくと、妙善寺のちょっと手前に広いコインパーキングがあって、その奥に大きな木が見えます。(一番目の写真参照。)

ここが菅原神社です。(二番目・三番目の写真参照。)

前に紹介した喜多院山門前の日枝神社もそうですが、その昔はお寺と神社は密接な関係にありました。

寛永元年(1624年)に中院の28世尊能法印が妙善寺を開山した際に寺領に勧請したのが天神社でした。

その後大正2年(1913年)に稲荷神社を合祀した際に、現在の名称である「菅原神社」となったそうです。

名称の通り、学問の神様として崇められています。

境内には菅原町の自治会館があり、川越まつりの前の夜とかには町内の囃子連がお囃子の練習をしているのが聞こえてきます。

また、

川越駅の周辺はビルやマンションが立ち並んで木も少なくなってしまっていますが、社の周りには数本の大きなけやきの木があります。

最近はだいぶ冷え込んできましたので、ここのけやきの木も黄色く色づき、はらはらと散り始めていました。(四番目の写真参照。)

妙善寺と隣接していますので、妙善寺の門から本堂を見ると後ろに見ることができます。

七福神めぐりのついでに立ち寄ってみて下さい。

1

2

3

4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

こちらが本家です!!・日枝神社【小仙波町一丁目】

喜多院の山門を出ると、左前方の道路の向かい側に神社があります。

日枝神社です。(1番目の写真参照。)

日枝神社は、大山咋神(おおやまくいのかみ)という、大きな山を所有するという神様をお祀りしています。

この神様、もともとは近江(現在の滋賀県)の日枝山(現在の比叡山)に鎮座した神様だそうで、比叡山に延暦寺ができてから天台宗の守護神として崇められていたそうです。

喜多院も天台宗のお寺ですから、門前にこの日枝神社が建立されたのでしょう。

1番目の写真で、鳥居の右側に「国宝 日枝神社」と彫られた石柱が建っています。

現在の区分では「国宝」ではなく「国指定重要文化財」です。

指定が昭和21年1月29日で、この時点では昭和25年施行開始の「文化財保護法」がなく、その前の「国宝保存法」という法律に基づいており、「国宝保存法」では現在の「国宝」と「国指定重要文化財」の区別がなく、全て「国宝」と称されていたことによります。

どちらにしても大切なものなのですが、1番目の写真の正面奥にある社を見るととても古いものとは思えないですね。

この拝殿はちょっと前に立て直したものです。

国指定重要文化財は、この拝殿の裏側にある小さな本殿です。(2番目の写真参照。)

喜多院山門から日枝神社に向かうと、鳥居の手前に看板が立っていました。(3番目の写真参照。)

そこには「赤坂日枝神社の本社です。」と書いてあります。

川越城を築城した太田道灌が江戸城を築城する際、川越のこの日枝神社を分祀して江戸城の鎮守としたそうです。

赤坂日枝神社のホームページにもその記述があります。

 http://www.hiejinja.net/jinja/hie/yuisho/index.html

ちなみに4番目の写真が赤坂日枝神社です。

昭和33年に再建された社ということで、かなり立派です。

本家を差し置いて・・・。

本家といいつつも日枝神社は滋賀県大津市の日吉大社が本当の本家ですので、川越の日枝神社も分家ではあるのですが。

5番目の写真は、日枝神社を西側(喜多院側・明星駐車場の向かい側)から見たところです。

社殿がちょっとした小山に隠れるようになっています。

この小山の頂上付近に小さな看板があります。

これによると、日枝神社古墳という、5~6世紀の古墳だそうです。

前にも書きましたが、このあたりには仙波古墳群といわれるぐらいの多くの古墳が存在していたそうなのですが、これもそのひとつでしょう。

この古墳の西側は道路で、今はそれほどの交通量もありませんが、昔は大宮へ通じる道で、そんなこともあって道路の拡張のためか、古墳はだいぶ削り取られているようにも見えます。

日枝神社の神様は大きな山を所有する神様ですので、この古墳を山に見立ててこの地に建立されたのかもしれません。

1

2

3

4

5

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ここでも彼岸花がきれいです・仙波氷川神社【仙波町四丁目】

この時期に見ごろを迎えるのは、彼岸花ですね。

埼玉だと日高市の巾着田が有名です。

今日のNHKニュースでは、青梅の彼岸花が映し出されていました。

この他、北本の自然観察公園でもたくさん咲いていますし、群馬との県境の児玉郡神川町では国道254号の藤武橋あたりから旧あかしあの湯あたりまで神流川沿いの土手に植えられています。

結構あちらこちらで見られる花ではあります。

我が家のそばの仙波氷川神社の境内にも規模はやや小さめですが、彼岸花が咲いていました。

氏子の方が、何年か前より、彼岸花だけではなく、お花を植えてきれいにしていました。

よくある朱色の花が主ですが、その朱色の花に混じって白い花も何輪か咲いていました。

去年は白と朱の中間のオレンジ色の花もあったのですが、今のところ気がつきませんでした。

丁度見ごろを迎えていますので、七福神めぐりをする方は、妙善寺から天然寺に行く途中にちょっとだけ遠回りして見に来て下さい。

境内の前にあるお団子屋さんで川越名物のお団子を買って、食べながらこの彼岸花を見るのもいいですよ。

1_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お参りすれば当たる??・的中観音【的場】

1 霞ヶ関地区に行ってきました。

県道川越日高線を川越市内から日高方面に向かい、入間川にかかる初雁橋を越え、関越自動車道のガードの手前、牛丼の吉野家さんの隣に、気になる看板が立っていました。

その名も「的中観音」。

「的中」を「てきちゅう」と読むと、お参りすると、願い事が見事に当たりそうな名前です。

地図を見ると、近くに「的場中」というバス停があるので、的場(まとば)の中(なか)あたりにある観音様というのが本来の名前でしょう。(まとなかかんのん??)

東松山市の「箭弓(やきゅう)神社」は読み仮名にひっかけて野球をやっている人が多くお参りするとか。

騎西の久伊豆神社はクイズに当たりたい人がやはりお参りするとか。

ここ「的中観音」は道路傍に観音様の石造が祀られているだけですが、競馬に当たるとか、宝くじ(ロト6系??)に当たるとか、何かと的中するよと噂を流すと人気がでるかもしれません。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

新河岸の村社・日枝神社と観音堂【下新河岸】

前回、新河岸川河岸場跡を紹介しましたが、その船着場のすぐ西にちょっとした森があります。

新河岸の日枝神社です。

1番目の写真参照して頂くと、左手の緑色っぽい屋根の社が日枝神社です。

右手の建物は、「観音堂」と書いてありました。

観音堂ということは、こちらは仏教系なので、二つの建物は同じ敷地にあるのですが、参道を示す敷石は別々に用意されていました。

喜多院の傍にも日枝神社がありますが、そちらは川越の日枝神社で。ここは昭和30年に川越と合併する前は高階村ですし、さらにその前の明治22年には下新河岸(村??)でしたから、ここに同じ名前の神社があっても不思議はないでしょう。

入口左手の社務所(下新河岸の自治会館??)の前に石碑が建っていて、「村社 日枝神社」と彫られていますが、その「村社」の部分はセメントのようなもので埋められていました。

高階村となったか川越市となったかのどちらかで、「村社」という意味合いがなくなってしまったからと思われます。

2番目の写真が日枝神社の社殿です。

2mぐらいの石垣があり、その上に社殿が建てられています。

すぐ裏の新河岸川からみると、石垣の下の部分でも川からちょっと高いところに位置しているのですが、やはり大雨による洪水とかでも大丈夫なように、ということで高くしたのでしょうか。

一方の観音堂は地面の上に建てられています。(3番目の写真参照。)

観音堂用の参道の入り口には二つの板石が建てられています。

よく見ると、それぞれに、お寺の山門に像がおさめられている、仁王が彫られていました。

(4番目の写真参照。)

高階地区に限らずですが、川越の旧市街地にはお寺は多いのですが、昭和30年に合併した各地区は面積は広いもののお寺も少ないので、手軽にお参りができるようこういったお堂を建てたのかもしれません。(他の地区にも「観音堂」というのがぽつんとあったりします。)

1

2

3

4_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

昨日は富士浅間神社の初山でした【富士見町】

昨日7月13日(金)は、富士見町の富士浅間神社の初山でした。

昼間は出かけていたので、夕方行ってきました。

平日だったせいか、それとも雨を見越してか、露天商の数が昨年に比べて少なかったような。

例年だと、仙波小学校から浅間神社までの道は両脇にずらっと並んでいたような気もするのですが、仙波小学校に近いところではだいぶ空きが多かった感じです。

我が家ではこの日はいつも晩ごはんが露店で買ってくるお好み焼き・たこ焼き・焼きそばなどなどになります。

それもお祭りならではかなと思いますが。

で、おかずのお好み焼き、しかも大阪風を買おうとしたのですが、露店の少なさのせいかわかりませんが、今年は広島風が目立っていました。

あと、買いはしませんでしたが、今話題(??)の佐世保バーガーのお店もありましたね。

露店も幅が広がってます。

しかし、いろんな人もいるもんで、よそ様の敷地に入って玄関の前に座って飲食している人も・・・。通り沿いに住んでいる人は大変です。

参拝者はいつも通りなんでしょうか、行列は社殿の階段下から西の鳥居の先まで並んでました。

ただ、最近は遠くから来る人が増えたのでしょうか、仙波小学校のフェンス沿いには自転車がいっぱい、車も富士見町交差点から川越胃腸病院前交差点の間や仙波氷川神社へ向かう道にも路上駐車の車がいっぱいでした。(きっと川越街道も)

駅からそんなに遠くないところなので、駅近辺の駐車場に停めて歩いていけるのですが。

境内には櫓が組まれ、仙波囃子連の方々がお囃子を演じてました。

私が行った時には、三久保町の囃子連の方々が演じてましたけど、川越の富士講のお祭りなのであちらこちらから応援に来てくれてるのでしょう。

ちなみに、母塚・富士浅間神社のそばには父塚・愛宕神社がありますが、こちらは再来週の7月24日(火)がお祭りです。(露店もなければ参拝者もあまりありませんが。)

私は生まれた時から仙波小学校近くに住んでいるいるので初山をはじめとしてこの近所のお祭りは知っていましたが、川越も元はいろいろな村が合併してできた街で、元の村々にたくさんの神社やお寺がありますから、きっとさまざまなお祭りがあることでしょう。そういうのももっとたくさん知りたいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

開運と安産を祈願する富士浅間神社・母塚【富士見町】

1_5 国道16号と国道254号(川越街道)が交わる新宿町(北)交差点を大宮方向へ2~300m行くと、左手に木の生い茂ったこんもりとした小山が見えます。

6世紀頃の古墳で、前々回に紹介した仙波愛宕神社が祀られている父塚とともに仙波古墳群としては規模も大きいもので、こちらは”母塚”と呼ばれています。

2_6この古墳の上に祀られているのが富士浅間神社です。

江戸時代に流行し、今なお続く富士詣ですが、当時はここから本物の富士山に登ることは 大変だったことからこの古墳を富士山に見立て、お参りしたのでしょう。

境内にある石碑とかを見ると、江戸時代の年号が掘られたものがいくつもあります。

また、川越一帯から参拝に来ていたことも伺えます。

3_3 社殿裏には小さな本殿が祀られていますが、この前には狛犬ではなく、小さな猿が鎮座し、守っています。

ちなみにこの神社の祭神は、”木花咲耶姫(このはなのさくやひめ)”です。

毎年10月に開催される川越祭には様々な御神体を乗せた山車が引き廻されますが、富士浅間神社のある富士見町には山車がないため、木花咲耶姫はお隣の岸町の山車に乗せられてしまいました。

岸町の山車は熊野神社(旧岸村)に保管されているんだけど、そちらの神様はよかったのでしょうか??

将来富士見町で山車を作ることになったらどうするのでしょう??

4_1 神社本殿の裏に行くと、まさに富士山を模した”噴火口”もあります。

あと2週間ちょっとですが、毎年7月13日には“初山”といって、富士山の山開きに相当するお祭りがあります。

この時にはこの噴火口はお賽銭を投げ入れる場所にもなっています。

最初の写真の通り、普段は何もないところですが、初山の日だけは周りに屋台が立ち並び、街中から人がお参りにやってきます。

5_2 元々は、1年以内に結婚した花嫁さんや生まれたばかりの赤ちゃんの初参りで、これから迎える夏の健康のためにあんころ餅や1組2本の団扇を買うという習わしのようです。

ただ、そんなことはあまり気にせず、小学生、場合によっては中学生ぐらいまで、子供がお参りをすると左の写真のようにおでこに赤いお印をつけてくれます。

なお境内では、ここが旧仙波村だったこともあって、木花咲耶姫をとった岸町ではなく、仙波町の囃子連がお囃子を演奏しています。

初山の当日は夕方(昼過ぎ??)から周辺道路が一部交通規制されます。

また、周りは住宅街ですので、路上駐車等は住んでいる方々に迷惑となりますので、ちょっと離れた所のコインパーキング等をご利用下さい。

ちなみに、富士浅間神社のある富士見町は、近くの歩道橋に上ると遠くに富士山が見えるというのもありますが、昔の字名は”富士の腰”と言っており、富士山を模したこの古墳の麓にあったことに由来しそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仙波愛宕神社の参道【富士見町】

見どころというほどのものではないのですが。

前回紹介した仙波愛宕神社は、裏(南側)は仙波河岸史跡公園から続く遊歩道がありますが、表(北側)は国道16号(254号)の富士見町交差点を大宮方向に100mほどいったところを右折していきます。

1_4 仙波愛宕神社を背にして国道16号線側を振り返ってみます。(一番目の写真)

すると、国道16号の向こう側、左の薬品会社のビルと右の生命保険会社の社宅の間にも道が見えます。

この道、今はほとんど薬品会社と生命保険会社の私道みたいな感じになってしまっていますが、国道16号(一応これはバイパス)の完成により分断されてしまった参道の一部です。

2_5  富士見町交差点から20mぐらい北に、信号のない交差点があります。

この交差点、私がこのBlogで使っているALPS社の地図では普通の十字路になっていますが、実は五差路です。(二番目の写真)

さすがゼンリン系の地図(google mapとか)ではきちっと表示されています。

国道16号の富士見町交差点から北へ向かう道と交差するのは、恐らくその昔からあると思われ、川越街道の烏頭坂上から中院・喜多院へ通じる重要な道です。

本来、仙波愛宕神社への参道はここから始まっていました。

今は、一見私道のような感じで通りづらそうですが、当然公道ですから誰でも通ることができます。

ただ、国道16号の手前で分断されてしまっていますから、その先は交通量の多くて渡ることができません。

すぐそばに富士見町交差点の信号・横断歩道があることから、今後もこの参道には信号・横断歩道・歩道橋が設置されることもなく、分断されたままでしょう。

交通の発達・利便性の向上で失われたものの一つです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

はしか予防の神様・父塚・仙波愛宕神社【富士見町】

1_3仙波河岸史跡公園の仙波滝北側の崖は、公園ができてからしばらくは封鎖されていたのですが、最近になって崖を登っていく遊歩道が再び整備されました。

崖の上にある、仙波愛宕神社へ通じる道です。

2_3 愛宕神社は、古代の古墳の上に建てられた神社で、別名:父塚と呼ばれています。

父があるからには母は??、と思うでしょう。

そのうち紹介しますが、愛宕神社から西へ数百mいったところにある富士浅間神社が母塚です。

父塚・母塚という名前の由来までは記憶にないので、わかった時に書きたいと思います。

このほかにも、仙波一帯には、古墳が点在していたようです。

同じ「仙波」でも、もう少し北に行った「小仙波」あたりにも古墳群が存在していますが、父塚を含む「大仙波」の古墳群とは時代とか規模、部族が異なるようです。

3_2 この愛宕神社で祀られているのは、防火の神様と病気の神様で、昔から特に「はしか」を予防してくれると言われています。

昨今はしかが大流行していますので、気になる方はぜひ参拝してみて下さい。

神社本殿へ向かう階段の下部には、狛犬があります。

そのまま通り過ぎて階段を昇ってしまいがちですが、ちょっと変わった形の狛犬なので、こういったものにも目を向けてみてはいかがでしょうか。

5 あと、神社の敷地の南東の角(仙波河岸史跡公園の崖の上)に、謎の石仏がありました。

近所のおじいさん(仙波河岸でその昔茶店をやっていた方のご子孫)に、この石仏について話をしたのですが、すぐにはわからなかったようで、あるねぇ、とのお答えしかなく・・・。

これまたそのうちわかったら書きます。

仙波愛宕神社は、1月5日が元朝祭、7月24日が例大祭です。

元朝祭は行ったことがないのでわかりませんが、例大祭は、地元富士見町は山車も無ければ囃子連もないので、お隣の仙波町(お隣といっても、もとはここも仙波村ですから。)の囃子連の方々が本殿で朝からお昼過ぎぐらいまでお囃子を演奏しつつ、参拝客を迎えてくれています。(タイミングがよければ、缶ジュースを頂けます。)

ただ、例大祭といっても、お囃子につられて近所の子供やその親がちょろっとお参りにくるくらいです。

先立つこと7月13日に行われるお隣の母塚・富士浅間神社のお祭りだと、屋台のお店がたくさんでて、参拝客も市内のあちらこちらから訪れるのですが・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

旧仙波村村社・氷川神社【仙波町四丁目】

1_1 仙波河岸へつながる切り通しを仙波小学校から仙波河岸方面に向って下り、富士見橋をくぐったところで道を左手に曲がると、旧仙波村の村社である氷川神社があります。

2 道から神社へは、階段がありますが、仙波河岸への道を改修した際に、水運に携わっていた商店が寄付して出来上がりました。

旧仙波村の村社ですから神社自体の歴史は古く、少なくとも江戸時代にはこの地にあったようです。

3 3番目の写真の右手に写っている手水舎の水桶(専門用語がわからない・・・)は安政年代に現・仙波町三丁目にある長徳寺というお寺の住職より寄贈されたと彫ってあります。

また、手水舎の奥には小さな塚があり、この上に灯篭が設置されていますが、この灯篭の刻印からも江戸時代のものということがわかります。

4 氷川神社の境内には、仙波町二丁目・三丁目・四丁目で所有している「仙波二郎安家の山車」が保管されています。

仙波二郎安家は、「仙波」の地名の由来となった人物です。(というか、仙波に居を構えていたから、仙波二郎安家??)

夏ごろになると、10月の川越祭に向けて、夜、お囃子の練習をしているのが聞こえてきます。

また、川越祭だけではなく、元旦初詣の時、同じ旧仙波村にある神社の祭礼とかでもお囃子を披露しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)