八幡通り【脇田町・南通町・通町・新富町一丁目・新富町二丁目・松江町一丁目】

ちょっと前になります。

ゴールデンウィークの直前に、特に予定もなかったのですが、お休みが取れたので、雨の降る中、川越の街中をぶらぶらと散歩をしてきました。

一番じっくり歩いたのが丸広の裏通りである八幡通りです。

普段ここを通るとしても、自転車でさーっと通り過ぎてしまう程度ではあったのですが。

1  正確にはどこが起点かはよくわかりませんが、この日はアトランタビルの前からスタートです。

通りの入口には、ポケットパークがあります。

ここは、その昔には、駄菓子屋さんがあったのですが。

小さないすも置かれており、歩き疲れた時に、ちょっとした休憩ができます。

2 北に向かっていくと、最初に気になったのが、通りの右側にある「VANITOY BAGEL」です。

今、市内で評判のベーグル屋さんです。

本店は幸町にあって、そちらではカフェも併設してますが、ここはTAKE OUT専門です。

元々は、ダ・カーポというレコード屋さんがあった場所です。

3 さらに進んでいくと、毎度おなじみ、八幡通りの名前の由来にもなっている、川越八幡宮があります。

4月も下旬となっていたので、以前宮司様からお教え頂いた桜も既に散っておりましたが、新緑の葉が青々としてきれいでした。

これから、子ども相撲であったり、茅の輪くぐりなどの祭事が行われていきます。

4 川越八幡宮参道の前には、陸王商店というお店があります。

この日は、時間が早かったのか、それともお休みの日なのか、営業はしていませんでした。

昔からやっておられる古物商で、様々な古いものを売ってます。

5 さらに進むと、有名な「ひびき」があります。

東松山名物のやきとり(やきとりといいつつ、豚のかしら肉と辛味噌だれのやきとん)のお店です。

土日の夕方とかは、行列していることもあります。

6_2 そのお隣に、小さなお菓子のお店がオープンしてました。

「野里」というお店です。

焼き菓子の専門のようですね。

母の日に向けての陳列になっていましたが、おいしそうです。

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そして、丸広の前にくると、黄色い建物が。

珈琲工房楽です。

ここも昔はレコード屋さんだったのですが。

喫茶店ではなく、世界から取り寄せたコーヒーの生豆をお客の好みに合わせて焙煎してくれる、コーヒー豆を売っているお店です。

8 丸広を過ぎると、マンションの一角に、島崎藤村ゆかりの地の碑があります。

島崎藤村の奥さんであった加藤静子という方の実家があった場所です。

9 本川越駅から東へ向かう東照宮中院通りを渡ると、鑑山酒造跡地の裏口前にあるのが関口人形店です。

埼玉で人形というと岩槻や鴻巣が有名ですが、川越にも数件あり、ここはその一つです。

丁度このころは、5月5日の子どもの日に向けて五月人形を取り扱っていました。

10 通りの終点にあるのが、木下製餡所です。

前に三久保町の製餡所を紹介しましたが、こちらでもあんこの製造直売をしてます。

さすが和菓子店の多い川越、和菓子に必要なあんこを作っている工場も多いです。

11 そして最後に通りの突き当たり、正面に大きなイチョウの木が2本見えます。

出世稲荷です。

2本のイチョウの木が参道を挟むようにたっています。

川越市内で最も大きな木だそうで、市の天然記念物にしていされています。

というところで、八幡通りの旅は終了。

他にもいろいろなお店等があったりしたのですが、また別途。

いつも何気なく通り過ぎてしまうところをゆっくりと見てみるのもよいものでした。

(この日はこれでまだお昼ぐらいだったので、雨のなかさらにぶらぶらと徘徊していたのでした。)

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桜のトンネル【伊佐沼】

Photo 今週は、川越東部をうろうろしていました。

たまたま伊佐沼の周りを通りました。

伊佐沼西岸の道路には道の両側に桜が植えられています。

この写真は横から撮ったためにわかりづらいですが、この道を通ると、桜のトンネルを走っているような感じになります。

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変えられてしまう道【郭町一丁目】【郭町二丁目】

川越城は川越の観光の目玉の一つです。

目立つ状態で残っているのは本丸御殿ですね。

この本丸御殿もかつては学校の体育館代わりとかに使われたりしてだいぶ劣化が進んでいるようです。

他にも改修がなされて、その昔とは違う状態になっていたりして。

これを直すために、しばらく一般公開を中止するようです。

後世に残すため、きちっと修復をお願いしたいです。

この川越城、かつては東は初雁球場のあたりから西は市役所のあたりに大手門があり、広大な土地でした。

このため、城内を東西に貫く道がありました。

今の、市立博物館と本丸御殿の間の道です。

この道が残念ながら変わろうとしています。

まぁ、今でもアスファルトに覆われていますから、過去の面影は薄いのですが。

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写真は、県立川越高校の北西の角の信号です。

本丸御殿から市役所のほうへ向かっていくと、信号の手前で左→右のクランクになっています。

写真は少し前に撮ったものなので、正面の家(オレンジ色の←の向こう)の家もすでに取り壊されています。

信号から西は市役所から東への一方通行です。

道路をまっすぐにし、道幅を増やして観光バスとかを通しやすくしようというもくろみなんでしょうかね。

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市の広報に江戸末期と現在の重ね合わせ図がありました。

これによると、ここにかつて三ノ門があり、お城ですから恐らく有事の際に敵がまっすぐに攻め込んでこられないようにクランク状にしたんでしょう。

今回これをまっすぐにしてしまうわけで・・・。

道を太くして両方通行にするのもよいですが、そうするとますます土日の旧市街は車の混雑が激しくなるような気もします。

パークアンドライドで、郊外に車を置いて、公共機関で町中に、というのもかつて川越でも推進していたような気もしますが、この道路の拡張は流れに反することになりそうな気がします。

観光で売った街ですので、観光客や旅行会社の遠くの駐車場から歩くのは不便という意見を優先させてしまったのかもしれませんね。

これで歴史ある道を変えてしまうのはちょっと残念な気がしませんか。?

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喜多院門前通り【小仙波町三丁目】

1_2 琵琶橋から西に向かうと、喜多院の山門前に至ります。

この通りを「喜多院門前通り」と言います。

2_2 今でこそ賑わいはありませんが、かつては喜多院の門前であるとともに、大宮等へ向かう川越の出口ということもあり、お店が立ち並んでいました。

3_2 この通りの両側のお宅もだいぶ建て替えられていますが、一部にはかつてお店をやっていたであろうとうかがえる建物や蔵が残っています。

4_2 この中で目を引くというか、まだ活躍されていそうなお店が喜多院斉霊殿の東側にあります。

森甚精麦倉庫のお店です。

精「米」でなく、精「麦」です。

麦を専門に取り扱っておられるお店があるんですね。

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旅人の安全を祈る道標【小仙波町三丁目】

この前紹介した琵琶橋、大宮から川越へ向かう道にかかる橋ですが、この琵琶橋から道なりに南西方向(喜多院山門方向)に100mほど行くと、五差路があります。

この五差路をそのまま戻れば琵琶橋を経て大宮に、西に向かえば喜多院の山門前、南に向かえば川越駅、そして南東に行く道で今はUNICSの東側を通る道(県道113号川越新座線)になっています。

ここもよく通る道であったのですが、この前通行止めとなった琵琶橋の様子を見に行くために自転車でここを通ったら初めて気がついたものがありました。

喜多院山門前からまっすぐ来るとこの五差路の正面、大宮方面に行く道とUNICS方面に行く道(県道113号川越新座線)との間に、お墓のような石碑が建っていました。

1 正面には、凡字一文字と、その下に「観世音」と彫られていました。

2 二枚目の写真は裏から撮ったもので、逆光のために彫ってある文字がよく読めませんが、この石碑の左右の側面には、それぞれの行きつく先が彫られています。

どちらかと言えばくっきり見えるのは一枚目の写真の右の行先ですが、飯田新田というのが読み取れました。

飯田新田というのは、今はさいたま市になっていますが、荒川の、下流に向かって右岸にあり、県道113号川越新座線をUNICSを越えて更に進んでいくとびん沼川(おそらく旧の荒川の流れで川越市と大宮市の境界になっている川)付近で治水橋方面に向かう道と交差しますが、そのあたりです。

川越の街から歩いて行くと、この石碑のあたりから街を離れていくので、川越を離れる人の安全を祈って観世音を祀るとともにそれぞれの道がどこに向かっているのかを教えてあげるためにこの石碑を建立したのではないかなあと思っています。

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川越街道のけやき並木【富士見町】

久々に家の近所のスポットです。

川越街道は名前の通り江戸から川越を結んだ街道です。

現在は国道254号線として多くの車が行き来する道になっています。

上福岡を越えて川越市に入ると旧の川越街道と国道254号は分かれ、国道16号線と交わる烏頭坂付近で再び合流します。

その昔は烏頭坂より北側の川越街道も国道254号だったのですが、国道254号はバイパスができて小仙波付近まで国道16号線と共用し、東に迂回するルートを通るようになっています。

烏頭坂からそのまま旧の川越街道を行ったところが今回紹介するスポットです。

川越市内の旧川越街道は、上福岡から烏頭坂の区間はほとんどセンターラインもなく、また菅原町から大手町のあたりまでは片側一車線道路ですが路肩がほとんどないくらいで、やや狭い道路ですが、烏頭坂を越えて菅原町に入るまでの富士見町のあたりはしっかりと路肩あり、さらに両側に歩道が設けられ、他の区間より幅が広くなっています。

この広くなった富士見町の川越街道には、道の両側に大きなけやきの木が植えられ、けやき並木になっています。

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写真は昨年の同時期に撮ったもので、今年の春に枝落としされたので、今は少しだけ緑の量が少なくなっていますが、短い区間ながらきれいな並木になっています。

市内のけやき並木だと、川鶴団地付近のがもっと長い区間を形成していますが、川鶴とともにここ富士見町の川越街道のけやき並木も川越市の「川越景観百選」に選ばれています。

 http://www.city.kawagoe.saitama.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1168908799708&SiteID=0&FP=search&RK=1215331991496

来週7月13日(日)は、富士見町にある富士浅間神社の初山です。

浅間神社周辺には駐車場が少ないので、川越駅近辺の駐車場に止めて歩いてくるのがよろしいかと思いますが(5分くらいですし)、このけやき並木、ちょうど通り道ですので、眺めてみてください。

(写真は、川越市立仙波小学校西側の歩道橋の上から撮ったものです。)

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旧・古谷村の中心【古谷上】

国道16号を市内から大宮方面に向かい、古谷の信号をちょっと越えた左手に、川越市役所の古谷出張所があります。(一番目の写真の正面。)

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出張所自体は奥まったところなのでわかりにくいのですが、同じ敷地にJAいるま野古谷支店があり、この建物(一番目の写真右の赤れんが風の建物)が国道16号線に面していますので、それを目標とするとよいでしょう。

今もそうですが、昔もこのあたりの産業の中心は農業ですから、行政と農業者の支援団体である農協とは近しい関係にあったので近接するところにあるのでしょう。

芳野とか福原でも出張所の比較的近くにJAの支店がありますし、仙波町には仙波会館という自治会館のような建物があるのですがここもJAの倉庫とくっついています。

国道16号で、この古谷出張所の敷地入口となるところに小さな石碑が建っていました。

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恐らくこの場所、今は市役所出張所になっているところですから、昔の旧・古谷村の中心である役場の跡地だと思うのですが、その証拠ともいえるもので、旧・古谷村の「道標」、つまり旧・古谷村の起点を示すものです。

これと同様のものが、昔川越と合併した村々の役場の前あたりにあったと思われます。

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というわけで、同じ敷地にJAがありますが、この裏手で、出張所の並びに、石造りで瓦屋根という古い造りの倉庫がありました。

このあたりで収穫された農作物を出荷するまでの間、保存するためにこれが昔から使われていたのでしょう。

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変わった形状の下原橋【菅間】

山田・芳野・古谷・南古谷の一帯は稲作が盛んで田んぼがたくさんありますので、稲に必要な水を供給するために水路が張り巡らされています。

前回紹介した菅間緑地の北側にも伊佐沼代用水路(古川排水)という水路が流れています。

この水路にかかる橋がちょっと変わった形をしていたので紹介します。

1972年に建造された下原橋という橋です。

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一番目は水路の上流から下流に向けて橋を見た写真ですが、これだとやや古めの橋ですがごくごく普通の橋ですね。

橋の手前に水を引き込むための簡単な堰があるというのが見られるぐらいです。

2 二番目の写真は、橋の上を撮ったものです。

普通、橋の欄干は左右平行に作られていますけど、この橋は写真右側(水路の下流側)の欄干がそとに湾曲しています。

この道路が写真手前側では川に並行して走っているのですが、この橋のところで右に蛇行しているため、車が曲がりやすいようにということで欄干も曲げられたのでしょう。

このように、川に並行している道路が川を渡るために右左に曲がるケース、例えば大仙波の新河岸川上流水循環センターの正門前とか、多々ありますが、でもごくごく普通に橋の欄干は左右平行して造られています。

普通に造ったほうが規格化できてコストが下げられるとかあるのかと思いますが。

でもこの下原橋のように道路の状況に合わせて作ると利便性は高まってよいですね。

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古谷村と川越市のつなぎ役・二枚橋【古谷上】【小仙波】

先週時間があったので、仙波辺りからさいたま市(旧大宮市)との境目にある古谷のグリーンパークまで歩きました。

約1時間半の道のりで、国道16号の歩道を歩いていきました。

その丁度中間地点あたりに、伊佐沼を起点とする九十川が流れています。

九十川が合流する新河岸川ですが、新河岸川が概ね今のようなルートを流れるようになったのは江戸時代です。(もちろん、かつては曲がりくねった流れだったのを近代になって治水のためにまっすぐな流れに変えたりもしていますが。)

それ以前の新河岸川(赤間川と言ったほうがよいでしょうか。)は、宮元町の田谷堰あたりから北、そして東へと流れ伊佐沼に注ぎ、そこからさらに南に流れていっていました。

なので、その南の流れがこの九十川であり、こちらがもともとは本流ではなかったのではないでしょうか。

その九十川にかかる国道16号の橋を二枚橋と言い、比較的新しくて立派な橋です。

その北側にも小さくて古いのですが橋がかかっています。(一番目の写真参照。)

これがもともとの二枚橋で、二番目の写真で、欄干に彫られているように、大正13年(1924年)8月に竣工された橋です。

古い橋なので劣化が進んでいるようで、欄干には黄色く塗られた鋼材がはめられています。

大正13年ということは、川越町と仙波村が合併して川越市が誕生したのが大正11年ですから、そのわずか2年後です。

下流を向いて右岸が小仙波、左岸が古谷上です。

川越市と古谷村等が合併して今の川越市になったのが昭和30年ですので、竣工したときには右岸の川越市と左岸の古谷村をつなぐ役割であった橋です。

単に川越市と古谷村をつないでいたわけではなく、この橋のすぐ南側が新しい二枚橋で国道16号線が走っていますが、川がまっすぐにされているのと同様に国道16号線も極力まっすぐにされて今のような状態になっており、もともとはこちらの古い二枚橋の上を国道16号が走っていました。(調べたところでは、旧県道大宮線という話も)

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川越駅から川越街道につづく、プラタナス並木のバイパス【菅原町・富士見町】

せっかく菅原町が続いたので、もう一つです。

七福神めぐりで、川越駅から第一番の妙善寺に向かうと、たいていの場合に歩く道です。(1番目の写真参照。)

一見何の変哲もない駅のそばの市道です。

ちょっと時期がずれたので葉っぱが青々していますが、プラタナスの木が道路の両脇に植えられています。

歩道に街灯が建てられ、そこには「川越駅東口商店会」という看板が掲げられ、ここが商店街であることもうかがえます。

ただ、20~30年前からすると商店は激減しました。

今でも魚屋さんとガソリンスタンドとかが頑張ってますが、その昔は八百屋・洋品店・文房具店・電器屋・家具屋・産婦人科・薬屋・和菓子屋・生命保険会社の営業所・・・等々もありました。

ちょっとした買い物とかで利用していたのですが、人の流れとしてはこの道路を通るのはこの先の富士見町や岸町のほうに住んでいる人たちくらいで、やはり商店街としては新富町商店街(現・クレアモール)のほうに行ってしまったり、大型店舗とかにとられてしまったりですし、また商店を経営されている方々の高齢化や跡取り問題とかもあったのではないでしょうか、今ではすたれてしまっています。

この道路、川越駅前ビルのマイン(東武ストア)の裏口から南東に向かって伸び、仙波小学校の南西の角付近で川越街道に斜めに交わっています。

もともと川越駅から川越街道に抜ける道路は、川越駅東口から東へ向かい川越街道の現在の三番町の交差点より1つ南側の交差点までの道路だけだったようです。

そのうち車とかが発達するようになって、その道路だけでは混雑するということで、今回紹介した道路が川越駅から川越街道へのバイパスとして開通されたとのことです。

道路も街も、年を経るに従って、変化します。

この道路を、富士見町のほうから川越駅に向かって見たのが2番目の写真です。

正面にマインのビルがあるため、右方向に屈折し、丸広の裏通り(八幡通り)につながっています。

これが現在の姿なのですが。

マインのビルができる前はというと、地図をよく見て頂き、地図でこの道路に沿って定規をあててもらうと、マインの先の道路もこの道路の延長上にあるのがわかります。

川越駅東口の再開発の一環でこのマインのビルも作られたのだと思うのですが、このビルが作られる前まではこの道路は丸井(現・modi)のビルのところまでつながっていました。

マインのビルができたおかげで、富士見町のほうから川越駅に向かうとちょっとだけ遠回りになってしまいましたが、川越駅前にロータリーを作る都合であったり、人の流れからするとそのままとするより曲げて八幡通りとつなげたほうがよいという判断があったのでしょうね。

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