変えられてしまう道【郭町一丁目】【郭町二丁目】

川越城は川越の観光の目玉の一つです。

目立つ状態で残っているのは本丸御殿ですね。

この本丸御殿もかつては学校の体育館代わりとかに使われたりしてだいぶ劣化が進んでいるようです。

他にも改修がなされて、その昔とは違う状態になっていたりして。

これを直すために、しばらく一般公開を中止するようです。

後世に残すため、きちっと修復をお願いしたいです。

この川越城、かつては東は初雁球場のあたりから西は市役所のあたりに大手門があり、広大な土地でした。

このため、城内を東西に貫く道がありました。

今の、市立博物館と本丸御殿の間の道です。

この道が残念ながら変わろうとしています。

まぁ、今でもアスファルトに覆われていますから、過去の面影は薄いのですが。

1_3

写真は、県立川越高校の北西の角の信号です。

本丸御殿から市役所のほうへ向かっていくと、信号の手前で左→右のクランクになっています。

写真は少し前に撮ったものなので、正面の家(オレンジ色の←の向こう)の家もすでに取り壊されています。

信号から西は市役所から東への一方通行です。

道路をまっすぐにし、道幅を増やして観光バスとかを通しやすくしようというもくろみなんでしょうかね。

2

市の広報に江戸末期と現在の重ね合わせ図がありました。

これによると、ここにかつて三ノ門があり、お城ですから恐らく有事の際に敵がまっすぐに攻め込んでこられないようにクランク状にしたんでしょう。

今回これをまっすぐにしてしまうわけで・・・。

道を太くして両方通行にするのもよいですが、そうするとますます土日の旧市街は車の混雑が激しくなるような気もします。

パークアンドライドで、郊外に車を置いて、公共機関で町中に、というのもかつて川越でも推進していたような気もしますが、この道路の拡張は流れに反することになりそうな気がします。

観光で売った街ですので、観光客や旅行会社の遠くの駐車場から歩くのは不便という意見を優先させてしまったのかもしれませんね。

これで歴史ある道を変えてしまうのはちょっと残念な気がしませんか。?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

喜多院門前通り【小仙波町三丁目】

1_2 琵琶橋から西に向かうと、喜多院の山門前に至ります。

この通りを「喜多院門前通り」と言います。

2_2 今でこそ賑わいはありませんが、かつては喜多院の門前であるとともに、大宮等へ向かう川越の出口ということもあり、お店が立ち並んでいました。

3_2 この通りの両側のお宅もだいぶ建て替えられていますが、一部にはかつてお店をやっていたであろうとうかがえる建物や蔵が残っています。

4_2 この中で目を引くというか、まだ活躍されていそうなお店が喜多院斉霊殿の東側にあります。

森甚精麦倉庫のお店です。

精「米」でなく、精「麦」です。

麦を専門に取り扱っておられるお店があるんですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

旅人の安全を祈る道標【小仙波町三丁目】

この前紹介した琵琶橋、大宮から川越へ向かう道にかかる橋ですが、この琵琶橋から道なりに南西方向(喜多院山門方向)に100mほど行くと、五差路があります。

この五差路をそのまま戻れば琵琶橋を経て大宮に、西に向かえば喜多院の山門前、南に向かえば川越駅、そして南東に行く道で今はUNICSの東側を通る道(県道113号川越新座線)になっています。

ここもよく通る道であったのですが、この前通行止めとなった琵琶橋の様子を見に行くために自転車でここを通ったら初めて気がついたものがありました。

喜多院山門前からまっすぐ来るとこの五差路の正面、大宮方面に行く道とUNICS方面に行く道(県道113号川越新座線)との間に、お墓のような石碑が建っていました。

1 正面には、凡字一文字と、その下に「観世音」と彫られていました。

2 二枚目の写真は裏から撮ったもので、逆光のために彫ってある文字がよく読めませんが、この石碑の左右の側面には、それぞれの行きつく先が彫られています。

どちらかと言えばくっきり見えるのは一枚目の写真の右の行先ですが、飯田新田というのが読み取れました。

飯田新田というのは、今はさいたま市になっていますが、荒川の、下流に向かって右岸にあり、県道113号川越新座線をUNICSを越えて更に進んでいくとびん沼川(おそらく旧の荒川の流れで川越市と大宮市の境界になっている川)付近で治水橋方面に向かう道と交差しますが、そのあたりです。

川越の街から歩いて行くと、この石碑のあたりから街を離れていくので、川越を離れる人の安全を祈って観世音を祀るとともにそれぞれの道がどこに向かっているのかを教えてあげるためにこの石碑を建立したのではないかなあと思っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

川越街道のけやき並木【富士見町】

久々に家の近所のスポットです。

川越街道は名前の通り江戸から川越を結んだ街道です。

現在は国道254号線として多くの車が行き来する道になっています。

上福岡を越えて川越市に入ると旧の川越街道と国道254号は分かれ、国道16号線と交わる烏頭坂付近で再び合流します。

その昔は烏頭坂より北側の川越街道も国道254号だったのですが、国道254号はバイパスができて小仙波付近まで国道16号線と共用し、東に迂回するルートを通るようになっています。

烏頭坂からそのまま旧の川越街道を行ったところが今回紹介するスポットです。

川越市内の旧川越街道は、上福岡から烏頭坂の区間はほとんどセンターラインもなく、また菅原町から大手町のあたりまでは片側一車線道路ですが路肩がほとんどないくらいで、やや狭い道路ですが、烏頭坂を越えて菅原町に入るまでの富士見町のあたりはしっかりと路肩あり、さらに両側に歩道が設けられ、他の区間より幅が広くなっています。

この広くなった富士見町の川越街道には、道の両側に大きなけやきの木が植えられ、けやき並木になっています。

1

写真は昨年の同時期に撮ったもので、今年の春に枝落としされたので、今は少しだけ緑の量が少なくなっていますが、短い区間ながらきれいな並木になっています。

市内のけやき並木だと、川鶴団地付近のがもっと長い区間を形成していますが、川鶴とともにここ富士見町の川越街道のけやき並木も川越市の「川越景観百選」に選ばれています。

 http://www.city.kawagoe.saitama.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1168908799708&SiteID=0&FP=search&RK=1215331991496

来週7月13日(日)は、富士見町にある富士浅間神社の初山です。

浅間神社周辺には駐車場が少ないので、川越駅近辺の駐車場に止めて歩いてくるのがよろしいかと思いますが(5分くらいですし)、このけやき並木、ちょうど通り道ですので、眺めてみてください。

(写真は、川越市立仙波小学校西側の歩道橋の上から撮ったものです。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

旧・古谷村の中心【古谷上】

国道16号を市内から大宮方面に向かい、古谷の信号をちょっと越えた左手に、川越市役所の古谷出張所があります。(一番目の写真の正面。)

1

出張所自体は奥まったところなのでわかりにくいのですが、同じ敷地にJAいるま野古谷支店があり、この建物(一番目の写真右の赤れんが風の建物)が国道16号線に面していますので、それを目標とするとよいでしょう。

今もそうですが、昔もこのあたりの産業の中心は農業ですから、行政と農業者の支援団体である農協とは近しい関係にあったので近接するところにあるのでしょう。

芳野とか福原でも出張所の比較的近くにJAの支店がありますし、仙波町には仙波会館という自治会館のような建物があるのですがここもJAの倉庫とくっついています。

国道16号で、この古谷出張所の敷地入口となるところに小さな石碑が建っていました。

2

恐らくこの場所、今は市役所出張所になっているところですから、昔の旧・古谷村の中心である役場の跡地だと思うのですが、その証拠ともいえるもので、旧・古谷村の「道標」、つまり旧・古谷村の起点を示すものです。

これと同様のものが、昔川越と合併した村々の役場の前あたりにあったと思われます。

3

というわけで、同じ敷地にJAがありますが、この裏手で、出張所の並びに、石造りで瓦屋根という古い造りの倉庫がありました。

このあたりで収穫された農作物を出荷するまでの間、保存するためにこれが昔から使われていたのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変わった形状の下原橋【菅間】

山田・芳野・古谷・南古谷の一帯は稲作が盛んで田んぼがたくさんありますので、稲に必要な水を供給するために水路が張り巡らされています。

前回紹介した菅間緑地の北側にも伊佐沼代用水路(古川排水)という水路が流れています。

この水路にかかる橋がちょっと変わった形をしていたので紹介します。

1972年に建造された下原橋という橋です。

1

一番目は水路の上流から下流に向けて橋を見た写真ですが、これだとやや古めの橋ですがごくごく普通の橋ですね。

橋の手前に水を引き込むための簡単な堰があるというのが見られるぐらいです。

2 二番目の写真は、橋の上を撮ったものです。

普通、橋の欄干は左右平行に作られていますけど、この橋は写真右側(水路の下流側)の欄干がそとに湾曲しています。

この道路が写真手前側では川に並行して走っているのですが、この橋のところで右に蛇行しているため、車が曲がりやすいようにということで欄干も曲げられたのでしょう。

このように、川に並行している道路が川を渡るために右左に曲がるケース、例えば大仙波の新河岸川上流水循環センターの正門前とか、多々ありますが、でもごくごく普通に橋の欄干は左右平行して造られています。

普通に造ったほうが規格化できてコストが下げられるとかあるのかと思いますが。

でもこの下原橋のように道路の状況に合わせて作ると利便性は高まってよいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

古谷村と川越市のつなぎ役・二枚橋【古谷上】【小仙波】

先週時間があったので、仙波辺りからさいたま市(旧大宮市)との境目にある古谷のグリーンパークまで歩きました。

約1時間半の道のりで、国道16号の歩道を歩いていきました。

その丁度中間地点あたりに、伊佐沼を起点とする九十川が流れています。

九十川が合流する新河岸川ですが、新河岸川が概ね今のようなルートを流れるようになったのは江戸時代です。(もちろん、かつては曲がりくねった流れだったのを近代になって治水のためにまっすぐな流れに変えたりもしていますが。)

それ以前の新河岸川(赤間川と言ったほうがよいでしょうか。)は、宮元町の田谷堰あたりから北、そして東へと流れ伊佐沼に注ぎ、そこからさらに南に流れていっていました。

なので、その南の流れがこの九十川であり、こちらがもともとは本流ではなかったのではないでしょうか。

その九十川にかかる国道16号の橋を二枚橋と言い、比較的新しくて立派な橋です。

その北側にも小さくて古いのですが橋がかかっています。(一番目の写真参照。)

これがもともとの二枚橋で、二番目の写真で、欄干に彫られているように、大正13年(1924年)8月に竣工された橋です。

古い橋なので劣化が進んでいるようで、欄干には黄色く塗られた鋼材がはめられています。

大正13年ということは、川越町と仙波村が合併して川越市が誕生したのが大正11年ですから、そのわずか2年後です。

下流を向いて右岸が小仙波、左岸が古谷上です。

川越市と古谷村等が合併して今の川越市になったのが昭和30年ですので、竣工したときには右岸の川越市と左岸の古谷村をつなぐ役割であった橋です。

単に川越市と古谷村をつないでいたわけではなく、この橋のすぐ南側が新しい二枚橋で国道16号線が走っていますが、川がまっすぐにされているのと同様に国道16号線も極力まっすぐにされて今のような状態になっており、もともとはこちらの古い二枚橋の上を国道16号が走っていました。(調べたところでは、旧県道大宮線という話も)

1_2

2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

川越駅から川越街道につづく、プラタナス並木のバイパス【菅原町・富士見町】

せっかく菅原町が続いたので、もう一つです。

七福神めぐりで、川越駅から第一番の妙善寺に向かうと、たいていの場合に歩く道です。(1番目の写真参照。)

一見何の変哲もない駅のそばの市道です。

ちょっと時期がずれたので葉っぱが青々していますが、プラタナスの木が道路の両脇に植えられています。

歩道に街灯が建てられ、そこには「川越駅東口商店会」という看板が掲げられ、ここが商店街であることもうかがえます。

ただ、20~30年前からすると商店は激減しました。

今でも魚屋さんとガソリンスタンドとかが頑張ってますが、その昔は八百屋・洋品店・文房具店・電器屋・家具屋・産婦人科・薬屋・和菓子屋・生命保険会社の営業所・・・等々もありました。

ちょっとした買い物とかで利用していたのですが、人の流れとしてはこの道路を通るのはこの先の富士見町や岸町のほうに住んでいる人たちくらいで、やはり商店街としては新富町商店街(現・クレアモール)のほうに行ってしまったり、大型店舗とかにとられてしまったりですし、また商店を経営されている方々の高齢化や跡取り問題とかもあったのではないでしょうか、今ではすたれてしまっています。

この道路、川越駅前ビルのマイン(東武ストア)の裏口から南東に向かって伸び、仙波小学校の南西の角付近で川越街道に斜めに交わっています。

もともと川越駅から川越街道に抜ける道路は、川越駅東口から東へ向かい川越街道の現在の三番町の交差点より1つ南側の交差点までの道路だけだったようです。

そのうち車とかが発達するようになって、その道路だけでは混雑するということで、今回紹介した道路が川越駅から川越街道へのバイパスとして開通されたとのことです。

道路も街も、年を経るに従って、変化します。

この道路を、富士見町のほうから川越駅に向かって見たのが2番目の写真です。

正面にマインのビルがあるため、右方向に屈折し、丸広の裏通り(八幡通り)につながっています。

これが現在の姿なのですが。

マインのビルができる前はというと、地図をよく見て頂き、地図でこの道路に沿って定規をあててもらうと、マインの先の道路もこの道路の延長上にあるのがわかります。

川越駅東口の再開発の一環でこのマインのビルも作られたのだと思うのですが、このビルが作られる前まではこの道路は丸井(現・modi)のビルのところまでつながっていました。

マインのビルができたおかげで、富士見町のほうから川越駅に向かうとちょっとだけ遠回りになってしまいましたが、川越駅前にロータリーを作る都合であったり、人の流れからするとそのままとするより曲げて八幡通りとつなげたほうがよいという判断があったのでしょうね。

1

2

| | コメント (2) | トラックバック (0)

仙波愛宕神社の参道【富士見町】

見どころというほどのものではないのですが。

前回紹介した仙波愛宕神社は、裏(南側)は仙波河岸史跡公園から続く遊歩道がありますが、表(北側)は国道16号(254号)の富士見町交差点を大宮方向に100mほどいったところを右折していきます。

1_4 仙波愛宕神社を背にして国道16号線側を振り返ってみます。(一番目の写真)

すると、国道16号の向こう側、左の薬品会社のビルと右の生命保険会社の社宅の間にも道が見えます。

この道、今はほとんど薬品会社と生命保険会社の私道みたいな感じになってしまっていますが、国道16号(一応これはバイパス)の完成により分断されてしまった参道の一部です。

2_5  富士見町交差点から20mぐらい北に、信号のない交差点があります。

この交差点、私がこのBlogで使っているALPS社の地図では普通の十字路になっていますが、実は五差路です。(二番目の写真)

さすがゼンリン系の地図(google mapとか)ではきちっと表示されています。

国道16号の富士見町交差点から北へ向かう道と交差するのは、恐らくその昔からあると思われ、川越街道の烏頭坂上から中院・喜多院へ通じる重要な道です。

本来、仙波愛宕神社への参道はここから始まっていました。

今は、一見私道のような感じで通りづらそうですが、当然公道ですから誰でも通ることができます。

ただ、国道16号の手前で分断されてしまっていますから、その先は交通量の多くて渡ることができません。

すぐそばに富士見町交差点の信号・横断歩道があることから、今後もこの参道には信号・横断歩道・歩道橋が設置されることもなく、分断されたままでしょう。

交通の発達・利便性の向上で失われたものの一つです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

仙波河岸につづく切り通しと富士見橋【仙波町二丁目・仙波町四丁目・富士見町】

タイトルどおり、きまぐれなアップになっています・・・。

前回は仙波河岸史跡公園をご紹介しましたので、それに関連するものを選びました。

Dvc00006_2 仙波小学校北側に面する道路をまっすぐ東へ進むと仙波河岸に到着します。

左の写真は、仙波小学校を通り過ぎ、川越胃腸病院の信号を超えたところです。

仙波河岸は愛宕神社の崖の下の低地に開設されましたが、川越の街は台地にあったため、河岸から街に物資を輸送するためには崖を登らなければなりません。

でもそれでは極めて不便ですので、スムーズに荷物を運べるよう、河岸のすぐ脇の台地を削り、切り通しを作りました。

それがこの道路です。

また、この切り通しの上を渡している橋があります。

昭和11年3月にできた「富士見橋」です。

橋の下がアーチになっている、最近ではあまり見かけない形状の橋です。

この橋は、仙波町(二丁目・四丁目)と富士見町の境目になっています。

Dvc00008m_2もともと両方の町とも仙波村の一部ですから、それがこの切り通しによって分断されてしまって不便だから、ということで橋が架けられた、というのも多少はあるかもしれません。

ただ、恐らくそれ以上に、この富士見橋の道は、西は川越街道烏頭坂上部から始まり、浅間神社・愛宕神社・仙波村村社の氷川神社・中院・喜多院の山門前を通って川越の街に至る道になっていますので、川越街道の裏街道的に使われていた道を分断してしまったということで、橋をかける必要性があったのではないでしょうか。

昨今富士見橋下の切り通しも川越富士見有料道路から街中に向かう抜け道として使えることから交通量が増えているのですが、富士見橋下部は独特のアーチ型をしているため、大きなトラックとかは道路の真ん中を通らないとアーチ部分にコンテナの屋根部分をぶつけます。

先日もドーンというかガリガリというか、すごい音がしたので見てみたら、川越富士見有料道路そばにある武●貨物のトラックがひっかけていました。

それだけではなく結構な数のトラックがぶつけているようで、アーチ部分を下から見ると、かなり削れているとともに、部位によっては中の鉄筋が見えているところもあります。

この橋はたぶん貴重な存在の橋だと思いますので、ドライバーにはそもそも気をつけてほしいですが、もしぶつけてしまったなら自分の車を直すだけでなくみんなの財産であるこの橋も潔く補修をしてほしいです。

また、市役所も、鉄道のガード下にあるような高さ制限をする黄色と黒に塗られた鉄骨を設置するとかして、この橋が壊されないよう保護をしてほしいですね。

こういうところにも、旧市街ばかり手厚く保護されて、それ以外のところにはあまり手をつけられていないというのがうかがえて、ちょっとかなしい感じです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)