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2010年5月

岸町を分ける東上線ガード【岸町一丁目】【岸町二丁目】

1ヶ月ほど前の雨の平日に八幡通りをぶらり旅していましたが、何故かその後南のほうへも足をのばし、新河岸~岸町をうろうろしておりました。

岸町は元々は岸村という名前で不老川沿いに位置しております。

岸町二丁目に川越街道が通っており、川越市内へ向かう最後の難関・烏頭坂の手前に古い建物や広い敷地のお宅が存在しておりますので、岸町二丁目が昔の中心と思われます。

このためか、岸町の中では二丁目だけが山車を保有しています。

というか、今の山車になる前は提灯とかにも「岸町」と書いていたのですが、噂なので本当のところは知りませんが、三丁目は小学校の学区が異なり(一丁目・二丁目は仙波小学校、三丁目は新宿小学校)、一丁目は二丁目との間に東武東上線があり、低いガードのために大きな山車をもってこれないから、二丁目だけで所有することになった、というお話があります。

その、岸町をわけている東武東上線のガードを見てきました。

全部で3つあります。

1_3 

これが、最も北側のガードです。

国道16号線から国道254号線東京方面への抜け道になっており、3つの中では最も交通量が多いところです。

ですが、橋脚間が狭く、車2台がすれ違えないため、交互通行のようになっています。

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これが真ん中のガードです。

前述の北側のガードに比べると、さらに橋脚間が狭くなっていますが、住宅地の間の道路なのでそれほど交通量も無いので特に不便は感じません。

さらに南側のガードについては、写真を撮り忘れたのですが、橋脚間が狭くなるだけでなく、高さも北側2つに比べて低くなっており、RV車等背の高い車は通行注意です。

この3つのガード、ともに同じような構造になっていて、真ん中のガードにさらに近寄ってみると・・・、

3

雨の湿気で写真がぼけてしまっていますが、岸町一丁目側がレンガ積みの橋脚になっています。

東武東上線のレンガ積みの橋脚については、霞ヶ関駅手前の入間川の旧鉄橋橋脚が有名なようなのですね。

あと、川越駅と川越市駅の間、西武新宿線を越える鉄橋の橋脚がやはりレンガ積みになっていて、ここが大正時代の開通当時のものというのをどこかで見た気がします。

とすると、ここも恐らくその頃のものではないでしょうか。

最も北側のガード、ここは前述の通り抜け道になっていて交通量が多いので、通るたびに橋脚の幅を広げてほしいと思ったりしますが、そうすると橋脚を壊さざるを得なくなり、こういった歴史的価値を考えると、う~ん、と唸ってしまいます。

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城主とともにやってきたお寺・光西寺【小仙波町五丁目】

喜多院の山門から南下していくと、仙波東照宮・中院と続き、第一中学校の手前にもう一つお寺が見えてきます。

1_2 光西寺というお寺です。

中院までは喜多院と出所を同じにする寺社ですが、光西寺は中院のお隣にあるものの、これらとは関係はありません。

元々は石見国浜田(島根県浜田市)で恵誓法師により開基されたお寺で、浜田藩の松井松平家の菩提寺になっていました。

5_2 松井松平家は、徳川家の親藩で、過去の功績が認められ、松平姓を名乗ることが許された家系です。

その松井松平家が、現在韓国と係争中の竹島を使って当時禁止されていた海外貿易をやっていたことが発覚し、外様であれば改易になっていたところを、親藩であったがゆえに、転封となり、陸奥・棚倉藩(福島県棚倉町)、そして川越に転封してkましたが、それとともに光西寺も移ってきました。

6_3 恐らくそれが縁で、川越市と棚倉町は姉妹都市となったのでしょう。

残念ながら川越に移ってきたのが幕末で、当初は南町(元町)の養寿院の門前にあった千手院を仮住まいとしていましたが、直後に明治維新となり、寺領をもらえず、大正末期に現在のこの地にお堂を建立したそうです。

境内には、その松井松平家の墓所があります。

2_2 お寺の東側には表門があります。

この門には様々な彫り物がなされています。

門の内側上部では、金剛力士が屋根を支えています。

3_2門の左右には、

初平が道士に会い神通力を得て仙人になり、羊を岩に変えて45年後に蘇生させるという、「黄初平」と、

4_2

漁師と樵とが互いにその天分とする境遇について問答する「漁樵問答図」です。

これらは、光西寺が所有している掛け軸を彫刻にしたものだそうです。

藩主が代わると家来だけでなく、お寺も代わるんですね。

こういったお寺を、士族寺とかお伴寺というそうです。

境内には、大きな枝垂れ桜の木がたっており、季節には美しく咲き誇っています。

中院の枝垂れ桜は有名で、多くの人で混雑しますが、ここは結構静かですよ。

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八幡通り【脇田町・南通町・通町・新富町一丁目・新富町二丁目・松江町一丁目】

ちょっと前になります。

ゴールデンウィークの直前に、特に予定もなかったのですが、お休みが取れたので、雨の降る中、川越の街中をぶらぶらと散歩をしてきました。

一番じっくり歩いたのが丸広の裏通りである八幡通りです。

普段ここを通るとしても、自転車でさーっと通り過ぎてしまう程度ではあったのですが。

1  正確にはどこが起点かはよくわかりませんが、この日はアトランタビルの前からスタートです。

通りの入口には、ポケットパークがあります。

ここは、その昔には、駄菓子屋さんがあったのですが。

小さないすも置かれており、歩き疲れた時に、ちょっとした休憩ができます。

2 北に向かっていくと、最初に気になったのが、通りの右側にある「VANITOY BAGEL」です。

今、市内で評判のベーグル屋さんです。

本店は幸町にあって、そちらではカフェも併設してますが、ここはTAKE OUT専門です。

元々は、ダ・カーポというレコード屋さんがあった場所です。

3 さらに進んでいくと、毎度おなじみ、八幡通りの名前の由来にもなっている、川越八幡宮があります。

4月も下旬となっていたので、以前宮司様からお教え頂いた桜も既に散っておりましたが、新緑の葉が青々としてきれいでした。

これから、子ども相撲であったり、茅の輪くぐりなどの祭事が行われていきます。

4 川越八幡宮参道の前には、陸王商店というお店があります。

この日は、時間が早かったのか、それともお休みの日なのか、営業はしていませんでした。

昔からやっておられる古物商で、様々な古いものを売ってます。

5 さらに進むと、有名な「ひびき」があります。

東松山名物のやきとり(やきとりといいつつ、豚のかしら肉と辛味噌だれのやきとん)のお店です。

土日の夕方とかは、行列していることもあります。

6_2 そのお隣に、小さなお菓子のお店がオープンしてました。

「野里」というお店です。

焼き菓子の専門のようですね。

母の日に向けての陳列になっていましたが、おいしそうです。

7

そして、丸広の前にくると、黄色い建物が。

珈琲工房楽です。

ここも昔はレコード屋さんだったのですが。

喫茶店ではなく、世界から取り寄せたコーヒーの生豆をお客の好みに合わせて焙煎してくれる、コーヒー豆を売っているお店です。

8 丸広を過ぎると、マンションの一角に、島崎藤村ゆかりの地の碑があります。

島崎藤村の奥さんであった加藤静子という方の実家があった場所です。

9 本川越駅から東へ向かう東照宮中院通りを渡ると、鑑山酒造跡地の裏口前にあるのが関口人形店です。

埼玉で人形というと岩槻や鴻巣が有名ですが、川越にも数件あり、ここはその一つです。

丁度このころは、5月5日の子どもの日に向けて五月人形を取り扱っていました。

10 通りの終点にあるのが、木下製餡所です。

前に三久保町の製餡所を紹介しましたが、こちらでもあんこの製造直売をしてます。

さすが和菓子店の多い川越、和菓子に必要なあんこを作っている工場も多いです。

11 そして最後に通りの突き当たり、正面に大きなイチョウの木が2本見えます。

出世稲荷です。

2本のイチョウの木が参道を挟むようにたっています。

川越市内で最も大きな木だそうで、市の天然記念物にしていされています。

というところで、八幡通りの旅は終了。

他にもいろいろなお店等があったりしたのですが、また別途。

いつも何気なく通り過ぎてしまうところをゆっくりと見てみるのもよいものでした。

(この日はこれでまだお昼ぐらいだったので、雨のなかさらにぶらぶらと徘徊していたのでした。)

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