路地裏のおしゃれなパン屋さん・善太郎【松江町一丁目】

パソコンが壊れてここ数ヶ月何も触れずじまいでした・・・。

未だ直せず、別のパソコンからです。

使いづらい・・・。

土曜日(8月15日)午前中に、家に誰もいなかったので、自転車で街中の路地裏をのんびり走ってきました。

その時に発見したものを少しずつご紹介を。

川越街道と並行している裏道というのは何本かあるのですが、川越街道より一本東側で川越工業高校の裏の通りとの間の細い道です。

前からこの道の存在は知っていたのですが、普段は車にしても自転車にしても川越工業高校の裏通りを通ってしまうので、初めて通ってみました。

1_5 人通りもあまりない通りなんですけど、そこで見つけたのがパン屋さん。

お店の入口の横に小さいプレートで「善太郎」と書いてありました。

駐車スペース部分には今日のおすすめの品が書かれている黒板が立てかけられていました。

この日はシフォンとスコーンとそして「禁断のあんぱん」とありました。

あんぱんは13:26の焼き上がりということで、午前中に訪れたためいただくことはできませんでしたが、「禁断」といのがひかれました。

暑いこの時期、アイスクリームも作っているそうです。

ピュアバニラと大人のラムレーズン。

バニラでもピュアとつくところで普通のアイスとは違うんでしょうね。

モノによってはすぐにうりきれてしまうものもあるそうなので、旧市街に行く前に立ち寄ってみてはいかがでしょう。

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NHK連続テレビ小説「つばさ」発進!!

一昨日3月30日(月)から、NHKの連続テレビ小説「つばさ」が放送開始されました。

このドラマについては多くの方がご存じだと思いますが、我が街・川越を舞台に、老舗和菓子屋の後継ぎの娘が地元のコミュニティFM放送局の仕事を通して家族や街を幸せにしようと頑張る姿を映したものです。

朝ドラで埼玉県が舞台となるのはこれがはじめてだそうで、各地で様々なイベントが催されています。

川越を通る東武東上線では、「つばさ」のラッピングトレイン2編成が3月22日(日)に池袋駅で出発式が行われ、運行開始しました。

その出発式には、川越市長・埼玉県知事に加え、出演者の1人の松本明子さんも出席されたようです。

夜に見かけたものをケータイカメラで写したので、ブレブレなんですが。

1_3

2

東上線の数ある電車の中でわずか2編成ですから、見かけたらラッキーという感じですが、9月30日(水)までの運行とのことなので、まだまだ見かけるチャンスはあるかと思います。

そのコミュニティFM放送局、埼玉県内では、鴻巣市のフラワーラジオ、入間市のFMチャッピー、旧浦和市のレッズウェーブ、朝霞市のすまいるFMの4局しかなく、我が街川越はドラマの中ではあるものの実際にはありません。

技術的な理由もあって、コミュニティFM放送局を開設するのは大変なようです。

でも私、放送局ではないですが電波/無線関係の仕事をしていることもありまして、以前からコミュニティFM放送局を我が街川越に作りたいと思っており、その昔にはビジネスプランなんぞも作りかけたことがありました。(今でも作りたいと思ってます!!)

ドラマの中の仮想的な世界ではありますが、我が街川越を舞台としたドラマで自分が思っていたコミュニティFM放送局というのが設定されたというのは面白いですね。

ますます本当に開設してみたくなりました。

とはいえ、制度上一人でできるものでもないので・・・、どなたか一緒に実現に向けて検討しませんか??

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足腰健康の神様・民部稲荷神社【南通町】

前々回に紹介した川越八幡宮、この境内に境内社として「民部稲荷神社」というのがあります。

4 八王子に年をとった狐が「民部」という名の侍に化け、話し相手がほしかったので近所の寺の小僧を毎晩のように家に呼んでいたそうです。

それを和尚さんは物の怪に化かされていると思い、小僧に、その侍にお礼・挨拶をするため寺にお越しくださるよう伝えさせました。

これをうけて侍がやってきたところ、話がはずんで相撲の話になり、侍の供と小僧とで庭で相撲をとることになりました。

翌日庭をみると狐の毛がたくさん落ちており、やはり狐の仕業とわかったのですが、何をしたわけでもないので和尚さんはそのままにしたそうです。

ところが、侍が翌日にやってきて、川越の梵心山に帰ると告げ、去っていきました。

かなり省略して書きましたが、この民話の詳細はテレビの日本昔話にも紹介されているそうです。

その梵心山に祀られたのが民部稲荷で、荒廃してしまい、ここに移され、またこれとは別になのか梵心町に再建され、さらに移設されて丸広百貨店(新富町二丁目)の屋上に守護神として祀られてもいるようです。

これを書いている今現在では梵心町というのがどこかわからなかったのですが、もしかしたら昔新富町商店街(現クレアモール)からイトーヨーカ堂・本川越駅方面に曲がる角、現在は100円ショップのダイソーが入っているビルのところが新富町二丁目の自治会館も置かれていた神社でしたので、それかもしれません。

5_2 で、川越八幡宮の東と西の鳥居の下に、二番目の写真のような足型が設置されています。

八幡神社の「八」をかたどっています。

狐と相撲をとったということで足腰健康を祈願していますので、箱根駅伝に出場する選手もお参りにくるそうです。また、祭事として、子供相撲大会なども開催されています。

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放火で焼失!!菅原神社【菅原町】

以前紹介した我が家の近所の神社の一つ、菅原神社が、2月3日(火)未明に放火され、拝殿が焼失してしまいました・・・。

3 1枚目の写真は在りし日の姿の菅原神社です。

6 そして、2枚目の写真が焼失後の写真です。

拝殿が全焼してしまっているとともに、裏の本殿までは見ませんでしたがおそらくダメージを受けていることでしょう。

そして、手前の水屋には屋根があったのですが、それもなくなり、拝殿両脇の大きな木にもすすがついています。

7_2 神社入り口にある看板によれば、焼失した拝殿は、後ろの本殿より古く、昭和とは言え戦中の昭和16年に改築されたものでした。

犯人は、派遣切りに遭い、住むところが無く、神社内に忍び込もうとしたところ、鍵がかかっていて入れなかったためにむしゃくしゃしてライターで火をつけたそうです。

近隣の方によると、火柱がかなり高くまであがったようです。

不幸中の幸いで、風があまりなかったので周りのお宅とか妙善寺には影響が及ばなかったみたいです。

実は私、毎日川越駅に向かうのにすぐ横あたりを通ります。

事件直後の当日7時半頃にも通っていたのですが、全く気がつかず、夜になってインターネットのニュースで知った次第でありました。(気がつくのが遅くてお恥ずかしい。)

こう言ってはなんですが派遣という道を選んだのは自分、でも確かにバッサリ切られてしまったのは世界経済が傾いてしまっている昨今ではありますが不幸と思いますよ。

だからと言って、みんなが大事にしてきた神社、しかも将来にわたって大事にしていけばそれこそ貴重な街の財産となるもので、派遣切りとは何の関わりのないものを、自分勝手に燃やしてしまうなんて・・・。

同情の余地もありません。

事件から1週間となる今日(2月9日)ですが、2番目の写真の通り、未だそのままの状態です。

復興させるにも、いくら商店の多い菅原町でも出費がかさんで大変でしょう。

(ここ数年で山車を新しく建造しているし、その山車蔵も昨年建てているし。)

菅原町も元は旧仙波村の一角。

仙波町・富士見町等旧仙波村を構成する字町で協力してはいかがでしょうか。

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縁を結びたいなら・川越一ノ宮川越八幡宮【南通町】

これまた毎年我が家でお正月に初詣する場所であります。

南通町の川越一ノ宮・川越八幡宮です。

1 丸広の裏通り、これを八幡通りといつしか名づけられましたが、川越駅から歩いてくるならこの道をくるとよいでしょう。

川越駅から徒歩5分くらいではないでしょうか。

一番目の写真が八幡通りの入り口の鳥居です。

、写真右を見ると、縦書きで「新富町二丁目」とかかれたシャッターが見えます。

新富町二丁目の山車蔵なんですけど、ここ、南通町です。(南通町の山車はどこに山車蔵造るのだろう??)

ちょうどここら辺は南通町・新富町二丁目・脇田町の境目になっていて、新富町二丁目は商業地域で空いている土地も少ないこともあり、それよりも大昔はそんな境目もなかったのでこちらに造ったのかもしれません。

二番目の写真が川越八幡宮の境内の様子です。

川越2八幡宮は、1030年に平忠常の謀反を征伐した源頼信によって創祠されたと言われる由緒ある神社です。

私、高校生までボーイスカウトをやっていたのですが、当時はかがり火奉仕ということで、大みそかから元旦未明までここでお神酒と甘酒を参拝客にふるまっておりました。

現在は神社の方々がお神酒・甘酒をふるまっておられます。

加えて、1月1日0時とともに初詣開始で、その際先着1000名くらいに記念品をお渡ししています。

そんなこともあってか、昨今元旦の行列がずらーっと並ぶようになりました。

二番目の写真の中央やや左側に大きな二本の木があるのが見えます。

イチョウの木です。

現在の天皇陛下がお生まれになったのを記念して、昭和8年12月23日に雌雄二本を植樹したところ、根本で一本になってくっついてしまったものです。

3 三枚目の写真が根本の様子で、確かにくっついてしまっているのがわかります。

神社ではこの木を「縁むすびの木」とするとともに、縁結びにご利益があるのではないかということで近年良縁を求める方がお参りに訪れているようです。

結構テレビや雑誌でも取り上げられているみたいですね。

なお、車で行く場合には、川越街道側にも入口があり、そちらが便利です。

近喜屋というラーメン屋の角を曲がると正面が川越八幡宮です。

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喜多院の七不思議・明星の杉と明星の池【小仙波町一丁目】

前回に引き続き、だいぶ時間が経ってしまいましたが、お正月三が日に見つけた場所のご紹介を。

喜多院山門を出て左手に、駐車場があります。

主に喜多院へ参詣する方々に使われております。

その名に「明星」というのがつけられています。

その昔、尊海僧正が勅命で関東で仏教を広めるために京都から牛車に乗って来たところ、小川にかかる橋のところで止まってしまい、これは何かあるかもしれないと思ってその場に留まりました。

するとその晩、近くの池の中から光が輝きだし、それが空に舞い上がって明星となり、その明星が老いた杉の木にとまりました。

尊海僧正はこれは何かあるかもしれないと思って調べたところ、この地がかつて仙芳仙人や慈覚大師が修行した場所であったことがわかり、ここにお堂を建てました。

1 その池のあとが山門の前の明星駐車場であり、その駐車場の北東の角に小さな祠があってその前に植えられている杉が明星の止まった老杉の代わりとなる新しい杉の木です。(写真の左端のほうにある木。)

なんか、よく個人で庭にお稲荷さんとかをお祀りしているお宅がありますが、この祠、今までずっとそんな感じの祠だと思ってました・・・。

また、喜多院の山号を星野山(せいやさん)と呼びますが、これも明星が輝いた場所からです。

あちこち調べると、光が輝きだしたのが池でなく井戸というのもあるようですね。

もう間もなく喜多院では節分会がありますので、その機会に訪れたらここにも足を向けてみてください。

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島崎藤村ゆかりの地【新富町一丁目】

気がつけば、2009年になり、1月も半ばを過ぎてしまいました・・・。

皆さんはお正月はどちらへ初詣等に行かれましたでしょうか??

結局我が家では、1月1日0時とともに近所の仙波氷川神社にお参りし(福銭と甘酒を頂けるからという話も。)、一眠りした後に南通町の八幡宮、そして1日おいて1月3日に喜多院のだるま市に行ってまいりました。

ほんと、毎年変わらず、です。

ただ、今年は、八幡宮のお参りの後に八幡通りそして新富町商店街(古い!!クレアモールです。)をお散歩してきました。

このとき、八幡通りのとあるマンションの敷地の一角にある植え込みに、石碑を見つけました。

1 石碑には、「島崎藤村ゆかりの地」と彫られていました。

島崎藤村といえば、明治から昭和にかけて活躍した文豪であります。

この島崎藤村の妻であった加藤静子という方の実家がここにあったそうです。

また、奥様の母親が茶人であったため、ここに「不染亭」という茶室を建ててあげたそうです。

この茶室は、平成4年に小仙波町五丁目の中院に移築、保存されており、お茶を楽しむ人たちに利用されています。

このマンション、比較的最近建てられたものだと思うのですが、その前にもここの通りはよく通っていたのですが、ここにこういうお宅があったというのは知りませんでした・・・。

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喜多院の初大師とだるま市【小仙波町一丁目】

もう間もなく年が明けて、2009年を迎えます。

皆さんは、初詣はどちらに行かれますか??

我が家は、1月1日0時とともに、近所の仙波氷川神社にお参りし、一眠りした後、お昼前ぐらいに南通町にある川越市総鎮守の川越八幡宮にお参りします。

ホームページを見ると、宮下町の川越氷川神社も川越総鎮守というくだりがあるのですが、どっちが本当の総鎮守なんでしょ??

祀っている神様が違うだろうから、両方とも、ということでしょうか。

以前は、元日に限りお守りが頂けるというので初雁公園の三芳野神社やその近くで川越城富士見櫓跡の御嶽神社、鐘をつける中院や連繋寺、等々にも行ったりしていました。

ある程度の寺社になるといろいろな催し物をやって、参拝者を集めてますね。

1月2日はゆったりした後、1月3日には、喜多院に行きます。

1 この日喜多院では、縁日の初大師で、境内ではだるま市が開かれています。

写真は、昨年の、しかもだるまを売っているところではなく、その前の年のだるまを納めるところですけど・・・。

両目が入れられ、納められただるまもたくさんありますが、境内には関東各地からだるまの業者さんが集まり、だるまを売っています。

だるまも、地域・業者さんによって、顔が違いますし、大きさもいろいろです。

我が家はいつも山門内側に陣取っている、群馬は高崎・少林山の、今井だるまのだるまの顔がしっくりくるのでこれを買っています。

皆さんもいろいろなお店を回って、お好みのだるまを選んでみてください。

その昔は、2月にも月遅れというか旧暦のだるま市があったと記憶しているのですが・・・。

今は1月3日ですので、お間違いなく。

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変えられてしまう道【郭町一丁目】【郭町二丁目】

川越城は川越の観光の目玉の一つです。

目立つ状態で残っているのは本丸御殿ですね。

この本丸御殿もかつては学校の体育館代わりとかに使われたりしてだいぶ劣化が進んでいるようです。

他にも改修がなされて、その昔とは違う状態になっていたりして。

これを直すために、しばらく一般公開を中止するようです。

後世に残すため、きちっと修復をお願いしたいです。

この川越城、かつては東は初雁球場のあたりから西は市役所のあたりに大手門があり、広大な土地でした。

このため、城内を東西に貫く道がありました。

今の、市立博物館と本丸御殿の間の道です。

この道が残念ながら変わろうとしています。

まぁ、今でもアスファルトに覆われていますから、過去の面影は薄いのですが。

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写真は、県立川越高校の北西の角の信号です。

本丸御殿から市役所のほうへ向かっていくと、信号の手前で左→右のクランクになっています。

写真は少し前に撮ったものなので、正面の家(オレンジ色の←の向こう)の家もすでに取り壊されています。

信号から西は市役所から東への一方通行です。

道路をまっすぐにし、道幅を増やして観光バスとかを通しやすくしようというもくろみなんでしょうかね。

2

市の広報に江戸末期と現在の重ね合わせ図がありました。

これによると、ここにかつて三ノ門があり、お城ですから恐らく有事の際に敵がまっすぐに攻め込んでこられないようにクランク状にしたんでしょう。

今回これをまっすぐにしてしまうわけで・・・。

道を太くして両方通行にするのもよいですが、そうするとますます土日の旧市街は車の混雑が激しくなるような気もします。

パークアンドライドで、郊外に車を置いて、公共機関で町中に、というのもかつて川越でも推進していたような気もしますが、この道路の拡張は流れに反することになりそうな気がします。

観光で売った街ですので、観光客や旅行会社の遠くの駐車場から歩くのは不便という意見を優先させてしまったのかもしれませんね。

これで歴史ある道を変えてしまうのはちょっと残念な気がしませんか。?

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喜多院門前通り【小仙波町三丁目】

1_2 琵琶橋から西に向かうと、喜多院の山門前に至ります。

この通りを「喜多院門前通り」と言います。

2_2 今でこそ賑わいはありませんが、かつては喜多院の門前であるとともに、大宮等へ向かう川越の出口ということもあり、お店が立ち並んでいました。

3_2 この通りの両側のお宅もだいぶ建て替えられていますが、一部にはかつてお店をやっていたであろうとうかがえる建物や蔵が残っています。

4_2 この中で目を引くというか、まだ活躍されていそうなお店が喜多院斉霊殿の東側にあります。

森甚精麦倉庫のお店です。

精「米」でなく、精「麦」です。

麦を専門に取り扱っておられるお店があるんですね。

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